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セイレーンの最後の場面はどの回?原作投稿で流れを解説
セイレーンが原作本編で最後に直接描かれるのは、単行本8巻「今日の日はさようなら」の終盤。人魚をめぐる怒りがどこへ着地したのか、出会いから最後の歌声までを原作投稿で追います。
セイレーンの最後の直接登場は第8巻「今日の日はさようなら」
セイレーンが原作本編で最後に直接描かれるのは、単行本8巻・島編「今日の日はさようなら」の終盤です。人魚を頭に載せて島民たちの前へ現れ、一人を口元へ運ぶ決定的な行動に出ます。周囲が固まる一方、最後にはセイレーンと人魚の軽い歌声が重なります。深刻な出来事の直後に明るい調子が戻るため、安心だけでは閉じない不穏なラストです。
その後の原作投稿では、ちいかわたちが島で最後の夜を過ごす場面へ移り、セイレーン自身は姿を見せません。島編の騒動が終わったことは焚き火を囲む乾杯の言葉で示されますが、セイレーンの心情を説明する後日談は挟まれないままです。したがって、物語上の最後を探す場合は「今日の日はさようなら」の歌声が残る場面が答えになります。
ファン考察:最後は「勝利」だけでは割り切れない
ラストを単純な勝利や解決として受け取れず、切なさや救いのなさが残るという声があります。映画館では、難しい話だと涙ぐむ大人の隣で、子どもはセイレーンを倒した結末として受け止めていたという観察もありました。同じ場面が見る人によって反転する、後味の割れ方まで含めて強く記憶されているようです。
一方では、セイレーンを対話の通じない天災や神のような存在と見る考察や、島民とのすれ違いを一度の対応ではなく継続的な備えの問題として読む声があります。反対に、そもそもセイレーン側に非があるという反応もあります。いずれもファンの解釈であり、原作が答えを一つに決めたものではありません。
最後の場面まで:失った人魚を捜して島へ向かう
セイレーンは、もともと人魚が三人おり、そろって歌ったり、体につく虫を取ったりして暮らしていたと話します。しかし仲間は一人減り、島の誰かが関わったのではないかという疑いが生まれます。人魚たちからは村の側から誰かが出てきたことも伝えられ、ちいかわたちは手掛かりを考え始めます。たき火のそばでは、毎日の歌と世話を一緒にしていた相手を失った実感が語られます。穏やかな火のぬくもりの中で、怒りの火種だけが消えずに残る導入です。
ちいかわとハチワレは建物の本を調べ、人魚をめぐる永遠の命の噂を目にします。人魚のうろこを利用する利害も、仲間が欠けた理由の向こうに浮かびます。同じころ、セイレーンは島民を捕らえ、関わった者が名乗り出るまで追及を続ける姿勢を見せます。ラッコが犯人を探しているのかと尋ねたとき、セイレーンの答えによって、仲間を取り戻したい気持ちが島全体への危険な行動へ変わっていることが明らかになります。
捜索隊とのすれ違いが追跡へ変わる
水辺を調べていたちいかわ、ハチワレ、うさぎ、古本屋たちの前へ、頭に人魚を載せたセイレーンが現れます。セイレーンは一行が関係者を連れてきてくれたのだと思い、うれしそうな反応を見せます。捕らえていた者や小さな人魚を返すような動きを見せ、明るい調子で歌い始めますが、ちいかわたちはその意図で来たわけではありません。島民も不安そうに見守ります。セイレーンと一行の目的は食い違ったまま、対面だけが進みます。
誤解が解けないままセイレーンの表情が変わり、周囲には黒い影と大きな葉、伸びる蔓が現れます。植物は一行の逃げ場を奪うように広がり、捜索のための対面は森全体を巻き込む危機へ変わります。仲間と離れたちいかわは追われ、丘の陰でハチワレと身を伏せても見つかってしまいます。ちいかわがポシェットから包み紙入りの飴を取り出して投げると、セイレーンの目は飛んでいく飴を追い、その隙にちいかわが反対側へ走り出します。一瞬の関心を利用して逃げる切迫した攻防です。
カレーの作戦で見える怒りと動揺
島民と仲間たちは、セイレーンへ近づきすぎないよう、つるを使ってカレーを運ぶ作戦を試します。ちいかわは頭につるを巻かれ、ハチワレとともに木のさじを持ったまま宙づりで下ろされます。つるをたぐる大きな相手と、鍋のそばで身構える仲間が距離を保ちます。ところがセイレーンは、歌って踊った見返りが少ないと不満を示し、差し出された柄をねじ曲げ、本当においしい物を求めて声を上げます。用意した一皿だけでは、失った仲間への思いも積み重なった不満も収まりません。
その後、泣きながら尾を振り回したセイレーンは、近くの島民をはね飛ばしてしまいます。ちいかわとハチワレが危険を知らせ、島民が転がるのを見た瞬間、セイレーン自身も口を押さえて凍りつきます。島二郎が拡声器で、もう襲わないでほしいと呼びかけると、暗がりから泣き声が返ります。怒りの大きさと、傷つけた事実に動揺する表情が同時に現れる、セイレーンを単純な脅威だけにはしない場面です。
赤い目・歌・大きな体に表れるセイレーンの感情
島編の序盤では、人魚の歌に合わせていた小舟の前へ、セイレーンが水面から大きく現れます。目は赤く変わり、仲間の人魚たちはその横で小さく浮かびます。ちいかわ、ハチワレ、うさぎが櫂で舟を離そうとしても、セイレーンは水をかき分けて追いかけます。波は小舟を高く持ち上げ、最後には三人と舟が空中へ放り出されます。人魚の歌を聞いていた場面は、直接の追跡と転覆の危機へ変わります。
一方で、最後まで行動を支えているのは人魚との結びつきです。頭には人魚を載せ、失った仲間を語るときには三人での歌や日々の世話を思い出し、島民を傷つけた直後には泣き声を返します。赤い目、大きな尾、植物を動かす力は恐ろしさを作りますが、歌と涙は喪失から動いていることを示します。巨大な姿の内側に寂しさが透けるため、最後の軽い歌声にも割り切れなさが残ります。
セイレーンの場面後は島での最後の夜へ続く
セイレーンが人魚と歌う場面の後、夜の焚き火を囲むちいかわたちへ視点が移ります。島二郎は、戦いのあとにゆっくり休めたか、明日には帰るのかと尋ねます。ハチワレは、当初は大きな報酬をあてにして島へ来たことを打ち明け、戻ったらまた頑張らなければならないと話します。くりまんじゅうは缶を持ち、シーサーは焼きそばを抱え、緊張の続いた島に普段の食事風景が戻ります。
島二郎は杯を掲げ、セイレーンとの戦いがひとまず終わったことへ乾杯します。ここで示されるのは、戦いを終えて日常へ戻る区切りです。直前まで島を揺らしたセイレーンが夜の焚き火の輪にはいないことで、最後の歌声の余韻がむしろ強くなります。姿を消した後の静けさまで含めて、島編の長い緊張をほどく別れになっています。
島編後のセイレーンは告知イラストにも登場
島編の本編が終わった後にも、セイレーンを描いた原作アカウントの投稿はあります。2026年2月27日の映画公開日告知では、水の上で笑うセイレーンが、首に緑の輪をかけ、頭にも飾りを着けたちいかわ、ハチワレ、うさぎを勢いよく放り投げています。手前には赤い体の小さな人魚が二人おり、水しぶきと動きの線、投げるときの掛け声が添えられています。
ただし、この絵は物語の続きではなく、映画の7月24日公開決定を伝える告知です。島編の最後を確認する場合は第8巻「今日の日はさようなら」、後から描かれたセイレーンの姿を見たい場合は映画告知という区別になります。本編では不穏さを残した大きな存在が、告知では三人を水辺で遊ばせるように笑っている対比が楽しい再登場です。
よくある質問
セイレーンの最後の場面は単行本の何巻ですか?
単行本8巻・島編「今日の日はさようなら」の終盤です。人魚を頭に載せて島民たちの前へ現れ、最後には人魚との軽い歌声が重なります。
セイレーンは最後の後にもう一度登場しますか?
島編の物語では、その後はちいかわたちの最後の夜へ移り、セイレーン自身の後日談は描かれません。後年の映画告知イラストには登場しますが、本編の続きではありません。
セイレーンはなぜ島民を追っていたのですか?
一緒に歌い、日々を過ごしていた人魚が一人欠け、島の誰かが関わったと考えたためです。失った仲間への思いが、島全体を巻き込む追及へ変わっていきます。